生年 | 1005年 |
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没年 | 1064年 |
氏族 | 藤原北家九条系御子左流の始祖 |
官位 | 正二位・権大納言 |
職業 | 公卿 |
法名 | なし |
別名 | 小若、御子左大納言、三条大納言 |
藤原長家の家族構成
父 | 藤原道長 |
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母 | 源明子(高松殿、源高明の娘) |
兄弟 | 彰子(一条天皇皇后、後一条天皇、後朱雀天皇の生母)、頼通、頼宗、妍子(三条天皇皇后)、顕信、能信、教通、寛子(敦明親王妃)、威子(後一条天皇皇后)、尊子(源師房の嫡妻)、長家、嬉子(後朱雀天皇皇后)、長信 |
配偶者 | 藤原行成の娘、藤原斉信の娘、藤原正光の娘、源懿子(源高雅の娘) |
子 | 道家、忠家、祐家、藤原信長室、證明、武藤長頼 |
藤原長家の概要
藤原長家の逸話
- 「千載和歌集」の編者として知られる藤原俊成の曽祖父であり、自身も勅撰和歌集に44首が入首する歌壇の中心人物だった
藤原長家の生涯
- 1005年、生誕
- 1015年、元服と同時に従五位上に叙任され昇殿を許されると続いて侍従、右近衛少将に任じられる
- 1018年、従四位上・右近衛中将に叙任される
- 1019年、正四位下に叙任される
- 1022年、従三位に叙任され公卿に列する
- 1023年、参議を経ることなく正三位・権中納言に叙任される
- 1024年、従二位、次いで正二位に叙任される
- 1028年、若干24歳で権大納言となる
- 1060年、甥にあたる藤原師実が19歳で内大臣に任じられて官職を超えられると檳榔車に火を付ける
- 1064年、病に倒れると出家し、間もなく死去する。享年60