藤原教通(ふじわらののりみち)

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    藤原教通の肖像画
    生年996年
    没年1075年
    氏族藤原北家九条系御堂流
    官位従一位・関白、太政大臣、贈正一位
    職業公卿
    法名なし
    別名大二条殿

    藤原教通の家族構成

    藤原道長
    源倫子(鷹司殿、源雅信の娘)
    兄弟彰子一条天皇皇后、後一条天皇、後朱雀天皇の生母)、頼通頼宗妍子三条天皇皇后)、顕信能信、教通、寛子(敦明親王妃)、威子(後一条天皇皇后)、尊子(源師房の嫡妻)、長家嬉子(後朱雀天皇皇后)、長信
    配偶者藤原公任の娘、禔子内親王(三条天皇第二皇女)、嫥子女王(具平親王の娘)
    生子、真子、静円、信家、通基、歓子、信長、静覚、藤原経家室

    藤原教通の概要

    藤原教通の逸話

    • 日記が二東記として伝わっている
    • 舞を尾張兼時に師事していた

    藤原教通の生涯

    • 996年、生誕
    • 1006年、元服し正五位下に叙任され、侍従に任じられる
    • 1010年、従三位に叙任され公卿に列する
    • 1011年、正三位に叙任される
    • 1013年、従二位・権中納言に叙任される
    • 1015年、正二位に叙任される
    • 1019年、権大納言に叙任される
    • 1021年、左大臣・藤原顕光が死去して大臣の座が2つ空き、筆頭大納言・藤原実資が右大臣に叙任されると同時に若干26歳ながら内大臣に昇任する
    • 1030年、後一条天皇に長女・藤原生子の入内を上奏し、後一条天皇も昇任の意向を示すが、妹で中宮だった藤原威子が里下りして身を隠そうしたことや、母・源倫子や兄・藤原頼通の反対もあり断念する
    • 1039年、兄・藤原頼通の養女で後朱雀天皇の中宮だった藤原嫄子が死去し、後宮は皇后・禎子内親王のみとなる。ここで頼通の反対と妨害を押し切り、長女・藤原生子の入内を強行する
    • 1047年、後冷泉天皇に三女・藤原歓子を入内させる
    • 1049年、藤原歓子が皇子を出産するが程なく皇子は夭折する
    • 1064年、兄・藤原頼通から藤氏長者を譲られる
    • 1067年、兄・藤原頼通が関白を辞任し、実子である右大臣・藤原師実を後任にしようとするが、姉・藤原彰子が父・藤原道長の遺言を理由に許可せず、関白がしばらく空席となる
    • 1068年、後冷泉天皇が重篤になり、藤原氏と関係が疎遠な後三条天皇の即位が確実となると、兄・藤原頼通もやむを得ず教通への関白職譲渡に同意する
    • 1075年、死去する。享年80

    光る君への藤原教通

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