生年 | 993年 |
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没年 | 1065年 |
氏族 | 藤原北家御堂流中御門流の始祖 |
官位 | 従一位・右大臣 |
職業 | 公卿 |
法名 | なし |
別名 | 巖、堀河右大臣 |
藤原頼宗の家族構成
父 | 藤原道長 |
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母 | 源明子(高松殿、源高明の娘) |
兄弟 | 彰子(一条天皇皇后、後一条天皇、後朱雀天皇の生母)、頼通、頼宗、妍子(三条天皇皇后)、顕信、能信、教通、寛子(敦明親王妃)、威子(後一条天皇皇后)、尊子(源師房の嫡妻)、長家、嬉子(後朱雀天皇皇后)、長信 |
配偶者 | 藤原伊周の娘、源公子(源高雅の娘)、藤原親時の娘 |
子 | 院の上、兼頼、延子、俊家、基貞、能長、能季、頼観、昭子、源師房室 |
藤原頼宗の概要
藤原頼宗の逸話
- 優れた歌人であり、紀貫之・平兼盛と並び称された
- 極度の近眼だった
藤原頼宗の生涯
- 993年、生誕
- 1004年、元服すると同時に従五位上に叙任される。母・源明子は父・藤原道長の正室ではなかったため、異母兄弟である藤原頼通・教通と比較して昇進は遅れた
- 1014年、権中納言となる
- 1021年、権大納言となる
- 1074年、内大臣となる
- 1060年、右大臣となる
- 1065年、病に倒れたため出家し、まもなく死去する。享年73