生年 | 994年 |
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没年 | 1027年 |
氏族 | 藤原北家九条系御堂流 |
官位 | 従四位下・右馬頭 |
職業 | 公家、僧 |
法名 | 長禅 |
別名 | なし |
藤原顕信の家族構成
父 | 藤原道長 |
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母 | 源明子(高松殿、源高明の娘) |
兄弟 | 彰子(一条天皇皇后、後一条天皇、後朱雀天皇の生母)、頼通、頼宗、妍子(三条天皇皇后)、顕信、能信、教通、寛子(敦明親王妃)、威子(後一条天皇皇后)、尊子(源師房の嫡妻)、長家、嬉子(後朱雀天皇皇后)、長信 |
配偶者 | なし |
子 | なし |
藤原顕信の概要
藤原顕信の逸話
- 当時空席となっていた蔵人頭に三条天皇から打診があったが、父・藤原道長が適さないと断ったことで自身の将来に不安を感じたのが出家の一因になったといわれる
藤原顕信の生涯
- 994年、生誕
- 1011年、右馬頭に任官される
- 1012年、世を憂いて行願寺・行円を尋ね、その教えに感銘し比叡山無動寺に出家するが、将来を期待していた両親には嘆かれる
- 1027年、病死する。享年34