生年 | 976年 |
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没年 | 1017年 |
氏族 | 天皇家 |
官位 | 第67代天皇 |
職業 | なし |
法名 | なし |
別名 | 居貞親王、三条院 |
三条天皇の家族構成
父 | 冷泉天皇(憲平親王) |
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母 | 藤原超子(藤原兼家の娘) |
兄弟 | 宗子内親王、尊子内親王、花山天皇(師貞親王)、光子内親王、三条天皇(居貞親王)、為尊親王、敦道親王 義兄弟:永平親王(村上天皇第十皇子)、清仁親王(花山天皇第一皇子)、昭登親王(花山天皇第二皇子) |
配偶者 | 皇后:藤原娍子(藤原済時の娘) 中宮:藤原妍子(藤原道長の娘) 東宮女御:藤原綏子(藤原兼家の娘)、藤原原子(藤原道隆の娘) |
子 | 敦明親王、敦儀親王、敦平親王、当子内親王、禔子内親王、師明親王、禎子内親王 |
三条天皇の概要
三条天皇の逸話
- 和歌の名手であり、小倉百人一首のほか新古今和歌集などにも歌が収められている
三条天皇の生涯
- 976年、生誕
- 986年、花山天皇が譲位し、一条天皇が即位すると藤原兼家の後押しで東宮となる
- 989年、藤原兼家の娘で叔母にあたる藤原綏子が後宮となる
- 991年、藤原済時の娘・藤原娍子が入内する
- 994年、藤原娍子が敦明親王を出産する
- 995年、藤原道隆の娘・藤原原子が入内する
- 1002年、藤原原子が死去する
- 1004年、藤原綏子が死去する
- 1010年、藤原道長の次女・藤原妍子が入内する
- 1011年、危篤状態だった一条天皇が崩御の直前に譲位し、36歳で即位する
- 1012年、藤原道長の次女・藤原妍子が中宮となるが、皇后は長年連れ添った 藤原娍子とし二后並立状態となる
- 1013年、藤原妍子が禎子内親王を出産する
- 1014年、眼病を患いこれを理由に藤原道長から譲位を迫られる
- 1016年、病状は改善せず、皇后・藤原娍子の子敦明親王の立太子を条件に、藤原道長の勧めに従って後一条天皇に譲位する
- 1017年、出家すると間もなく崩御する。享年42