生年 | 956年 |
---|---|
没年 | 1029年 |
氏族 | 藤原北家九条流 |
官位 | 従一位・太政大臣 |
職業 | 公卿 |
法名 | |
別名 | 宮雄君、閑院大臣 |
藤原公季の家族構成
父 | 藤原師輔 |
---|---|
母 | 康子内親王(醍醐天皇十四皇女) |
兄弟 | 伊尹、兼通、安子、兼家、遠量、忠君、遠基、遠度、登子、源高明室、高光、愛宮、為光、尋禅、深覚、公季、怤子、繁子、源重信室 |
配偶者 | 有明親王の娘 |
子 | 義子、実成、如源、親賢、信覚 養子:公成 |
藤原公季の概要
藤原公季の逸話
- 叔父にあたる村上天皇から非常に可愛がられたが、宮中での皇子のような振る舞いに守平親王は嘆いたといわれる
藤原公季の生涯
- 956年、生誕
- 967年、元服し正五位下に叙任される
- 970年、従四位下・侍従に叙任される
- 975年、従四位上に叙任される
- 976年、正四位下・左近衛中将に叙任される
- 981年、従三位に叙任される
- 983年、参議に任じられ公卿に列する
- 985年、正三位に叙任される
- 986年、一条天皇の即位に伴って、権中納言に昇進すると同時に、東宮・居貞親王の春宮権大夫に任じられる
- 995年、伝染病の流行で関白・藤原道隆を含む大納言以上の大官が複数名死去したため、大納言に任じられる
- 997年、前年に起きた長徳の変で内大臣・藤原伊周が失脚したため、後任の内大臣に任じられる
- 1015年、息子の藤原実成を権中納言に昇進させるため、左近衛大将を辞任する
- 1017年、右大臣に就任すると敦良親王の東宮傅も兼任する
- 1021年、従一位・太政大臣に叙任される
- 1029年、死去する。享年74
光る君への藤原公季
第6回「二人の才女」で初登場