藤原伊尹(ふじわらのこれただ)
生年 | 924年 |
---|
没年 | 972年 |
---|
氏族 | 藤原北家九条流 |
---|
官位 | 正二位・摂政、太政大臣、贈正一位 |
---|
職業 | 公卿 |
---|
法名 | なし |
---|
別名 | 一条摂政、謙徳公(漢風諡号)、三河公(国公) |
---|
藤原伊尹の家族構成
父 | 藤原師輔 |
---|
母 | 藤原盛子(藤原経邦の娘) |
---|
兄弟 | 伊尹、兼通、安子、兼家、遠量、忠君、遠基、遠度、登子、源高明室、高光、愛宮、為光、尋禅、深覚、公季、怤子、繁子、源重信室 |
---|
配偶者 | 惠子女王(代明親王の娘)、井殿(源信明の娘) |
---|
子 | 親賢、惟賢、懐子、挙賢、義孝、光昭、義懐、周挙、行源、藤原為光室、大納言君、藤原忠君室、藤原隆家室、藤原為光妾、為尊親王妃 |
---|
藤原伊尹の概要
藤原伊尹の逸話
- 大饗の日に寝殿の壁が少し黒かったため、大変高価な陸奥紙で張り替えさせた
- 和歌に長け、後撰和歌集の編纂に大きく関与した
藤原伊尹の生涯
- 924年、生誕
- 941年、従五位下に叙任される
- 960年、右大臣だった父・藤原師輔が急死する
- 同年、村上天皇の強い意向で参議となる
- 967年、従三位に叙任され、同時に権中納言となる
- 同年、村上天皇が崩御し、冷泉天皇が即位すると天皇の外戚となる
- 同年、権大納言に任じられる
- 968年、正三位に叙任される
- 同年、冷泉天皇に娘・藤原懐子を女御として入内させ師貞親王が生まれる
- 冷泉天皇は精神病を患っており、長い在位は望めなかったため、東宮に守平親王が立てられる
- 969年、冷泉天皇が譲位し、守平親王が円融天皇として即位し、東宮には伊尹の外孫にあたる師貞親王が立てらる
- 970年、右大臣に就任し、藤原実頼が死去すると藤氏長者となり摂政に任じられる
- 971年、太政大臣に任じられ、正二位に叙任される
- 972年、病に倒れ、病状が悪化すると上表して摂政を辞任し間もなく死去する。享年49
光る君への藤原伊尹