生年 | 942年 |
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没年 | 992年 |
氏族 | 藤原北家九条流 |
官位 | 従一位・太政大臣、贈正一位 |
職業 | 公卿 |
法名 | なし |
別名 | 恒徳公(漢風諡号)、相模公(国公) |
藤原為光の家族構成
父 | 藤原師輔 |
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母 | 雅子内親王(醍醐天皇の第十皇女) |
兄弟 | 伊尹、兼通、安子、兼家、遠量、忠君、遠基、遠度、登子、源高明室、高光、愛宮、為光、尋禅、深覚、公季、怤子、繁子、源重信室 |
配偶者 | 嫡妻:藤原敦敏の娘、藤原伊尹の娘 妾妻:藤原伊尹の娘 |
子 | 誠信、斉信、藤原義懐の嫡妻、忯子、長信、尋光、道信、公信、寝殿の上、儼子、穠子、良光、藤原隆家室、安芸守家平室 |
藤原為光の概要
藤原為光の逸話
日記として法住寺相国記を残した
藤原為光の生涯
- 942年、生誕
- 957年、従五位下に叙任される
- 958年、侍従に任じられる
- 962年、従五位上・右近衛少将に叙任される
- 963年、五位蔵人に任じられる
- 966年、正五位下に叙任される
- 967年、従四位下に叙任され、蔵人を去る
- 968年、従四位上・権左中弁に叙任される
- 969年、安和の変が起き、叔父であり義兄弟でもあった左大臣・源高明が失脚すると高明の女婿・為平親王の家司を務めていた自身も昇殿を止められる。しかし程なく許され、左中弁に昇格し、しばらくして蔵人頭に任じられる
- 970年、参議兼左近衛中将として公卿に列する
- 973年、異母兄・藤原伊尹・兼通から可愛がられていたこともあり、従三位に叙任され
- 権中納言に抜擢される
- 975年、中納言となる
- 976年、正三位に叙任される
- 977年、従二位・大納言に叙任される
- 978年、藤原兼家が右大臣に就任すると将来の摂関の地位を兼家と争うことになる
- 984年、花山天皇が即位すると、天皇の要望で娘・藤原忯子を入内させる
- 985年、娘・藤原忯子が急死する
- 986年、藤原兼家の手引きで寛和の変が起き、傷心の花山天皇が出家すると為光の野望は果てる
- しかしながら兼家は左大臣・源雅信に対抗するために為光との連携を図り、右大臣に任じられる
- 987年、従一位に叙任されるが、藤原兼家・道隆親子の下に付くことになる
- 988年、妻と娘・藤原忯子を弔うために法住寺を建立する
- 991年、藤原道隆の推挙で太政大臣に任じられる
- 992年、死去する。享年51
光る君への藤原為光
- 第1回「約束の月」で初登場