藤原義懐(ふじわらのよしちか)|高橋光臣
生年 | 957年 |
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没年 | 1008年 |
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氏族 | 藤原北家九条流 |
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官位 | 従二位・権中納言 |
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職業 | 公卿 |
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法名 | 悟真、寂真 |
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別名 | なし |
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藤原義懐の家族構成
父 | 藤原伊尹 |
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母 | 惠子女王(代明親王の娘) |
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兄弟 | 親賢、惟賢、懐子、挙賢、義孝、光昭、義懐、周挙、行源、藤原為光室、大納言君、藤原忠君室、藤原隆家室、藤原為光妾、為尊親王妃 |
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配偶者 | 藤原為光の娘、藤原為雅の娘、日向守命茂の娘 |
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子 | 尋円、延円、成房、伊成、尋増、信懐、教忠、女子 |
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藤原義懐の概要
藤原義懐の逸話
藤原義懐の生涯
- 957年、生誕
- 972年、従五位下に叙任される
- 同年、摂政だった父・藤原伊尹が急死する
- 974年、兄・藤原挙賢・義孝が同日に病死する
- 979年、春宮坊に任じられる
- 982年、従四位下に叙任される
- 984年従四位上に叙任される
- 同年、花山天皇が即位すると蔵人頭に任じられ、正三位まで昇叙する
- 985年、従二位・権中納言に叙任される
- 986年、藤原道兼の暗躍により起こった寛和の変により花山天皇が譲位し、藤原惟成と共に自分たちの政治的敗北を悟ると出家する
- 法名は悟真、受戒後は寂真と名乗り、僧侶となると比叡山に籠る
- 出家後も女遊びを止めなかった花山天皇とは対照的に残り人生のほとんどを仏門の修行に費やした
- 1008年、死去する。享年52。その死を知った人々からは「義懐は極楽往生を遂げたに違いない」と語り合ったと言われている
光る君への藤原義懐