生年 | 966年 |
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没年 | 1025年 |
氏族 | 清原真人 |
官位 | なし |
職業 | 藤原定子の女房 |
法名 | なし |
別名 | 清原諾子? |
清少納言の家族構成
父 | 清原元輔 |
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母 | 不明 |
兄弟 | 為成、戒秀、致信、正高、清少納言、藤原理能室 |
配偶者 | 橘則光、藤原棟世 |
子 | 橘則長、小馬命婦 |
清少納言の概要
清少納言の逸話
- 髪がくせ毛であり、劣等感を感じていた
- 中古三十六歌仙・女房三十六歌仙の一人だが、和歌を詠むのは苦手だった
清少納言の生涯
- 966年、生誕
- 974年、父・清原元輔の周防守赴任に同行する
- 981年頃、藤原斉信の家司を務める橘則光と結婚する
- 982年、第一子・橘則長を出産する
- 993年頃、私的な女房として中宮・藤原定子に仕える
- 998年、夫・橘則光が遠江介に任じられた頃に別離する。後に摂津守・藤原棟世と再婚し娘・小馬命婦を出産する
- 1000年、中宮・藤原定子が出産時に亡くなると程なくして宮仕えを辞任する。その後の消息は不明だが、再婚相手・藤原棟世の任国である摂津に移ったと言われる
- 1025年頃、死去したと言われる
光る君への清少納言
- 第6回「二人の才女」で初登場