生年 | 966年 |
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没年 | 1041年 |
氏族 | 藤原北家小野宮流 |
官位 | 正二位・権大納言 |
職業 | 公卿 |
法名 | なし |
別名 | 大納言公任、四条大納言、一条朝四納言 |
藤原公任の家族構成
藤原公任の概要
藤原公任の逸話
- 和歌・漢詩・管弦に精通した文化人で、当時の歌壇の第一人者
- 和漢朗詠集の選者
- 代表歌は、小倉百人一首(55番):滝の音は たえて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ
- 藤原斉信に位階を抜かれたとき、7か月の間出仕しなかった。
- 藤原兼家が大堰川に漢詩の舟・管絃の舟・和歌の舟を出した際に和歌の船を選び、歌を詠んで賞賛されるが、漢詩の舟を選んでおけばもっと名声が上がったはずだと悔やむ
- 検非違使庁別当を務めていた際、刑罰の矛盾を指摘して改めさせる
- 後一条天皇の誕生祝いの祝宴で、酒に酔って紫式部に話しかけるが軽くあしらわれる
藤原公任の生涯
- 966年、生誕
- 980年、清涼殿で円融天皇の御前で元服し、将来への期待も込めて異例ながら正五位下に叙任されるとその後侍従に任じられる
- 981年、従四位下に叙任される
- 982年、従四位上に叙任される
- 983年、左近衛権中将に任じられる
- 985年、正四位下に叙任される
- 986年、一条天皇の即位により父・藤原頼忠は関白を辞任して藤原兼家が摂政となる
- 989年、蔵人頭に任じられるが、周りが昇進していく中、昇進が停滞する
- 992年、参議として公卿に列する
- 993年、関白・藤原道隆を始め藤原氏の公卿ほぼ全員が出席した一条天皇の大原野神社への行幸に参加しない事件を起こす
- 994年、藤原道隆に反発していた道隆の弟・藤原道兼とは親密であり、道兼の養女と結婚する
- 999年、従三位に叙任され、この時期に権力を持つようになった藤原道長に接近する
- 1001年、中納言に任じられると正三位に叙任される
- 1004年、親しい友人であった藤原斉信が従二位に叙任され位階を超えられると衝撃を受け中納言左衛門督の辞表を藤原道長に提出する
- 1005年、従二位に叙任されると参内を再開する
- 1009年、藤原斉信と共に権大納言に昇進する
- 1012年、長女を藤原斉信と共に権大納言に昇進する
- 同年、正二位に叙任される
- 1023年、藤原遵子の養女となった次女が死去する
- 1024年、次女に続いて長女を亡くし、精神的に衰弱し権大納言を辞任する
- 1026年、弟・藤原最円の滞在する洛北長谷・解脱寺で出家する
- 1041年、前年末に罹患した瘡湿により死去する。享年76
光る君への藤原公任
- 第3回「謎の男」で初登場
第3回「謎の男」では、はんにゃ・金田哲さん演じる藤原斉信と共に町田公任が初登場を果たすと、Xでは大変な盛り上がりを見せトレンド入り。町田さんは「雨夜の品定め」を模した藤原のF4のボーイズトークのシーンで、容姿・才能・家柄を兼ね備えた当時の最強貴族である藤原公任を嫌味なく演じられファンを虜に。第3回の主役は町田公任でした。