生年 | 967年 |
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没年 | 1035年 |
氏族 | 藤原北家九条流 |
官位 | 正二位・大納言 |
職業 | 公卿 |
法名 | なし |
別名 | 一条朝四納言 |
藤原斉信の家族構成
父 | 藤原為光 |
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母 | 藤原敦敏の娘 |
兄弟 | 誠信、斉信、藤原義懐室、忯子、長信、尋光、道信、公信、寝殿の上、儼子、穠子、良光、藤原隆家室、安芸守家平室 |
配偶者 | 不明 |
子 | 永慶、良斉、源頼清室、源宗家室、藤原長家室、源定宗室 養子:公信(藤原為光の子)、経任(藤原懐平の子)、斉長 |
藤原斉信の概要
藤原斉信の逸話
- 藤原道長とは父同士は政敵であったが親しくしており、道長の栄達に伴ない公卿となる
- 和歌・漢詩・朗詠・管弦に通じていた
- 清少納言と親交があり、「枕草子」に登場する
- 和歌や漢詩だけでなく、朗詠や管絃にも達者で文化人としても名高かった
- 交流のあった清少納言から絵に描いたような貴公子と呼ばれた
- 大切な詩会に遅刻したことがある
藤原斉信の生涯
- 967年、生誕
- 981年、従五位下に叙任される
- 984年、従五位上・侍従に叙任される
- 985年、右兵衛佐に任じられる
- 986年、従四位下・左近衛少将に叙任・任官される
- 989年、右近衛中将に任じられる
- 990年、左近衛中将に任じられる
- 991年、従四位上に叙任される
- 994年、は蔵人頭となり、高貴な振る舞いが近衛大将のようだといわれる
- 995年、関白・藤原道隆が死去すると中関白家から離れて藤原道長に近づく
- 996年、長徳の変で中関白家・藤原伊周・隆家兄弟が左遷された当日に、参議に任じられ公卿に列する
- 999年、 正四位下に叙任される
- 1000年、従三位に叙任される
- 1001年、藤原懐平・菅原輔正・藤原誠信を飛び越えて権中納言に任じられる
- 以降、藤原道長の腹心の一人として一条天皇の治世を支え、藤原公任・藤原行成・源俊賢と共に一条朝の四納言と呼ばれる
- 1004年、従二位に叙任される
- 1008年、正二位に叙任される
- 1009年、権大納言に昇進し藤原公任を越え、四納言の筆頭格となる
- 1013年、三条天皇の中宮で藤原道長の娘・藤原妍子の御所だった東三条殿が焼失した際に、郁芳門殿を速やかに妍子に提供し道長は深く感動する
- 1020年、大納言に昇進する
- 1021年、娘と藤原道長の六男・藤原長家の結婚を望むが長家は前年に室を亡くしたばかりで一旦拒むが道長の後押しもあり、長家も結婚に同意する
- 1025年、流行り病だった赤斑瘡で娘は妊娠7ヶ月で早産して胎児は死亡し、娘は尼となる。斉信は一生涯魚鳥を食さないと大願をかけたものの、間もなく娘本人も病死する。娘を亡くした斉信は大いに嘆き悲しむ
- 1035年、死去する。享年69
光る君への藤原斉信
- 第3回「謎の男」で初登場
第3回「謎の男」では、金田斉信は町田啓太さん演じる藤原公任と共に初登場。「平安貴族感がすごい」と、本物の平安貴族らしい容姿や立ち居振る舞いがXでトレンド入りを果たす。「藤原のF4」のこれからに注目が集まります。