渡辺 守綱(わたなべ もりつな)
生年 | 1542年 |
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没年 | 1620年 |
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主君 | 徳川家康→徳川義直 |
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拠点・知行 | 武蔵比企 |
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官位・役職 | |
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幼名 | |
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法名 | |
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別名 | 忠右衛門、半蔵、槍半蔵 |
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渡辺守綱の家族構成
父 | 渡辺高綱 |
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母 | 渡辺義綱の娘 |
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兄弟 | 守綱、政綱 |
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正室 | 平岩親重の娘 継室:岡部真幸の娘 |
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側室 | |
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子 | 重綱、宗綱、成綱 |
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親族 | |
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渡辺守綱の逸話
- 三河渡辺家は松平家譜代の家柄
- 徳川十六神将のひとり
- 家康とは同い年
- 同じ半蔵である服部正成とよく引き合いに出される
渡辺守綱の生涯
- 1542年、生誕
- 1562年、三河国八幡の合戦では、殿軍で奮戦し、槍半蔵と呼ばれることとなる
- 1563年、三河一向一揆では、蜂屋貞次とともに一揆方に加勢するが敗北し、再び徳川家康に仕える
- 1570年、姉川の戦いでは旗本一番槍を挙げるなど戦功を重ねる
- 1573年、三方ヶ原の戦いでは、先鋒を務める
- 1575年、長篠の戦いでは先鋒を務める。山本勘助の嫡子・山本管助を討ち取る
- 1584年、小牧・長久手の戦いでは先鋒を務める
- 1590年、徳川家康の関東移封の際、武蔵比企3000石を与えられる
- 1600年、長年の功績により1000石を加増。騎馬同心30人の給分6000石を付属させられ足軽100人の組頭となる
- 1608年、徳川家康の9男・義直の付家老に任ぜられ、尾張岩作5000石、三河寺部5000石を加増される。以降寺部城を居城とする
- 1614年、大坂冬の陣では徳川義直の後見として従軍する
- 1615年、大坂夏の陣でも徳川義直の後見として従軍する
- 1620年、名古屋にて死去する。享年79