鳥居 元忠(とりい もとただ)
生年 | 1539年 |
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没年 | 1600年 |
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主君 | 徳川家康 |
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拠点・知行 | 下総矢作城 |
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官位・役職 | |
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幼名 | |
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法名 | |
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別名 | 彦右衛門尉 |
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鳥居元忠の家族構成
父 | 鳥居忠吉 |
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母 | |
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兄弟 | 忠宗、本翁意伯、元忠、忠広 |
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正室 | 松平家広の娘 |
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側室 | 馬場信春の娘 |
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子 | 康忠、忠政、成次、忠勝、忠頼、忠昌 |
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親族 | |
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鳥居元忠の逸話
- 鳥居家は松平家の譜代家臣の家柄
- 徳川十六神将のひとり
- 一説では、元忠の「元」の字は今川義元から偏諱を与えられたと考えられている
- 家康の三河統一後、旗本先手役に任ぜられた
- 散り様は、大久保忠教に「三河武士の鑑」と賞賛された
- 元忠の子孫には問題を起こす者が2人いたが、いずれも元忠の勲功に免じて断絶は免れた
鳥居元忠の生涯
- 1539年、生誕
- 1551年、徳川家康が今川氏の人質時代に側近として仕える
- 1558年、寺部城攻めに従軍する
- 1570年、姉川の戦いに従軍する
- 1572年、家督を相続する
- 1573年、三方ヶ原の戦いでは、足を負傷し、障害が残る
- 1575年、長篠の戦いでは、石川数正とともに馬防柵を設営する
- 1581年、高天神城の戦いに従軍する
- 1582年、天正壬午の乱では、北条氏忠・氏勝軍1万を2000の兵で撃退する。戦後、甲斐都留郡与えられる
- 1585年、上田合戦では、真田昌幸に大敗する
- 1590年、小田原攻めに従軍する。家康の関東移封の際、下総矢作4万石を与えられる
- 1599年、領国矢作で検地を行う
- 1600年、伏見城の戦いでは、戦略上、囮とした伏見城を預かり、少ない手勢で西軍と奮戦し戦死する。享年62