鳥居 元忠(とりい もとただ)

    • URLをコピーしました!
    鳥居元忠の肖像画
    出典:Wikipedia:鳥居元忠像(栃木・常楽寺蔵)
    生年1539年
    没年1600年
    主君徳川家康
    拠点・知行下総矢作城
    官位・役職
    幼名
    法名
    別名彦右衛門尉

    鳥居元忠の家族構成

    鳥居忠吉
    兄弟忠宗、本翁意伯、元忠、忠広
    正室松平家広の娘
    側室馬場信春の娘
    康忠、忠政、成次、忠勝、忠頼、忠昌
    親族

    鳥居元忠の逸話

    • 鳥居家は松平家の譜代家臣の家柄
    • 徳川十六神将のひとり
    • 一説では、元忠の「元」の字は今川義元から偏諱を与えられたと考えられている
    • 家康の三河統一後、旗本先手役に任ぜられた
    • 散り様は、大久保忠教に「三河武士の鑑」と賞賛された
    • 元忠の子孫には問題を起こす者が2人いたが、いずれも元忠の勲功に免じて断絶は免れた

    鳥居元忠の生涯

    • 1539年、生誕
    • 1551年、徳川家康が今川氏の人質時代に側近として仕える
    • 1558年、寺部城攻めに従軍する
    • 1570年、姉川の戦いに従軍する
    • 1572年、家督を相続する
    • 1573年、三方ヶ原の戦いでは、足を負傷し、障害が残る
    • 1575年、長篠の戦いでは、石川数正とともに馬防柵を設営する
    • 1581年、高天神城の戦いに従軍する
    • 1582年、天正壬午の乱では、北条氏忠・氏勝軍1万を2000の兵で撃退する。戦後、甲斐都留郡与えられる
    • 1585年、上田合戦では、真田昌幸に大敗する
    • 1590年、小田原攻めに従軍する。家康の関東移封の際、下総矢作4万石を与えられる
    • 1599年、領国矢作で検地を行う
    • 1600年、伏見城の戦いでは、戦略上、囮とした伏見城を預かり、少ない手勢で西軍と奮戦し戦死する。享年62
    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!