高木 清秀(たかぎ きよひで)

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    高木清秀の肖像画
    出典:Wikipedia:高木清秀像
    生年1526年
    没年1610年
    主君水野信元→織田信秀→水野信元→織田信長→徳川家康
    拠点・知行三河
    官位・役職
    幼名善次郎
    法名
    別名主水助

    高木清秀の家族構成

    高木宣光
    酒井正信の娘
    兄弟清秀、清方
    正室水野元氏の娘
    側室
    光秀、一吉、正次、守次
    親族

    高木清秀の逸話

    • 徳川十六神将のひとり
    • 石瀬合戦では石川数正と7度槍を交えたという
    • 松永攻め、有岡攻めでも活躍したという
    • 長篠の戦いでは武田家臣の猛将、真田昌輝と槍を合わせたと伝わる

    高木清秀の生涯

    • 1526年、生誕。はじめは水野信元に仕える
    • 1548年、織田信秀家臣として第二次小豆坂の戦いで戦功をあげた。その後、再び水野信元に仕え、歴戦する
    • 1563年、三河一向一揆では、水野信元に従い一揆勢と奮戦し、その功により徳川家康からも報償を与えられる
    • 1574年、第三次伊勢長島攻めでは、嫡男・高木光秀を失うも、敵方の首魁である盛林坊を討ち取り武名を轟かせる
    • 1575年、水野信元が武田内通により信長に誅殺されると、織田家臣・佐久間信盛の与力となる
    • 1576年、大坂攻めでは、佐久間信盛に従い天王寺城に入り一揆勢と戦う
    • 1580年、佐久間信盛が織田家より追放されると、織田家直臣となったと推察される
    • 1582年、本能寺の変にて、信長が死去したのを契機に徳川家康の家臣となる
    • 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍する
    • 1590年、小田原攻めに従軍し、5000石を与えられる
    • 1594年、家督を三男・高木正次に譲り、相模国海老名で隠居する
    • 1600年、関ヶ原の戦いでは、隠居の身であったが、徳川秀忠に伺候し羽織を賜ったとされる
    • 1610年、死去する。享年85

    私見

    変わった遍歴。めっちゃ強かったんでしょうね

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