大久保 忠世(おおくぼ ただよ)

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    大久保忠世の肖像画
    出典:Wikipedia:小田原城所蔵
    生年1532年
    没年1594年
    主君徳川家康
    拠点・知行相模小田原城
    官位・役職
    幼名
    法名
    別名新十郎、七郎右衛門

    大久保忠世の家族構成

    大久保忠員
    兄弟忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元
    正室近藤幸正の娘
    側室
    忠隣、忠基、忠成、忠高、忠永
    親族

    大久保忠世の逸話

    • 大久保家は松平家の最古参の譜代家臣の家柄
    • 徳川十六神将のひとり
    • 戦で崖から落とされたことがある。が、そのまま這い上がり敵兵3人を一度に切った
    • 本多正信の帰参を助けた
    • 月に7日間、絶食をし倹約に努めた

    大久保忠世の生涯

    • 1532年、生誕
    • 1563年、三河一向一揆では、徳川家康に従い戦功を挙げる
    • 1572年、三方ヶ原の戦いでは、既に勝敗は決していたが、夜に武田軍の陣に銃撃を行い混乱に陥れ、武田信玄より賞賛されたと伝わる
    • 1575年、長篠の戦いでは、弟・大久保忠佐とともに戦功を挙げ、織田信長から賞賛され、徳川家康からほら貝を与えられる。また、二俣城の城主に任ぜられる
    • 1582年、本能寺の変後、徳川家康が甲斐、信濃を攻略すると、信州惣奉行として小諸城に在番する
    • 1585年、上田合戦では、真田昌幸に大敗を喫する
    • 1590年、徳川家康の関東移封の際、相模小田原4万5000石を与えられる
    • 1594年、死去する。享年63
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