大久保 忠佐(おおくぼ ただすけ)

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    大久保忠佐の肖像画
    出典:Wikipedia:大久保忠佐(徳川二十将図より 日光東照宮所蔵)
    生年1537年
    没年1613年
    主君松平広忠→徳川家康→徳川秀忠
    拠点・知行上総茂原
    官位・役職
    幼名弥八郎
    法名道喜
    別名治右衛門

    大久保忠佐の家族構成

    大久保忠員
    兄弟忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元
    正室
    側室
    竹丸、忠兼
    養子:青山宗祐(青山忠俊の子)
    親族

    大久保忠佐の逸話

    • 徳川十六神将のひとり
    • 兄の忠世とともに、敵にまとわりつくという意味で、「膏薬」と賞された
    • 戦場で傷を負ったことがない
    • 息子2人が早世したため、後継ぎがおらず、沼津藩は改易となった

    大久保忠佐の生涯

    • 1537年、生誕
    • 1572年、一言坂の戦いでは、本多忠勝と殿軍を務める
    • 1575年、長篠の戦いで戦功を挙げる
    • 1584年、小牧・長久手の戦いで戦功を挙げる
    • 1590年、徳川家康の関東移封の際、上総国茂原5000石を与えられる
    • 1600年、関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠に従い、真田昌幸に翻弄される
    • 1601年、駿河国沼津2万石を与えられ、沼津城を居城とする
    • 1613年、死去。享年77
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