
生年 | 1546年 |
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没年 | 1618年 |
主君 | 徳川家康→徳川信康→徳川家康→徳川秀忠 |
拠点・知行 | 三河 |
官位・役職 | |
幼名 | |
法名 | 源斎 |
別名 | 源七郎、上野介 |
松平康忠の家族構成
父 | 松平政忠 |
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母 | 碓井姫(松平清康の娘) |
兄弟 | |
正室 | 矢田姫(松平広忠の娘) 継室:松平信定の娘 |
側室 | |
子 | 康直、直隆、直宗、直之 養子:直信(松平忠直の子) |
親族 |
松平康忠の逸話
- 徳川十六神将のひとりとされる場合がある
- 松平張忠の子で同姓同名の武将がいる
松平康忠の生涯
- 1546年、生誕
- 1560年、桶狭間の戦いでは、父・松平政忠が戦死すると、母・碓井姫は酒井忠次と再嫁する
- 1562年、元服し三河国宝飯1810貫文の知行を受ける
- 1570年、姉川の戦いでは、義父・酒井忠次に属して従軍する
- 1575年、長篠の戦いでも、義父・酒井忠次に属して従軍し、長篠城を開放する
- 1579年時点では、徳川信康の家老であったが、信康の自刃により蟄居。後に許され徳川家康の直臣となる
- 1582年、徳川家康の伊賀越えに同行する
- 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍する
- 1588年、嫡子・松平康直に家督を譲り京都で隠居する
- 1593年、嫡子・松平康直が急逝すると、生後間もない家康の7男、松千代が康直の養子となる
- 1599年、松千代が6歳で夭折。松千代の兄・松平忠輝が後を継ぐ
- 1618年、死去する。享年73