松平 家忠(まつだいら いえただ)

    • URLをコピーしました!
    松平家忠の肖像画
    出典:Wikipedia:松平家忠像
    生年1555年
    没年1600年
    主君徳川家康
    拠点・知行武蔵忍城
    官位・役職
    幼名
    法名
    別名又八、又八郎、主殿助

    松平家忠の家族構成

    松平伊忠
    鵜殿長持の娘
    兄弟家忠、忠勝、伊長、玄成、松意
    正室水野忠分の娘
    側室
    忠利、忠貞、忠一、忠重、忠隆
    親族

    松平家忠の逸話

    • 徳川十六神将のひとりとされる場合がある
    • 家忠の記した「家忠日記」は貴重な資料として現存している
    • 忠吉の成人後は下総国小見川に移封された

    松平家忠の生涯

    • 1555年、生誕
    • 1575年、長篠の戦いでは、父・酒井忠次に従い参加するが忠次が戦死し、家督を相続する。その後も主要な合戦には従軍するが、戦闘よりも、付城の普請などを担当することが多かった
    • 1590年、家康の関東移封の際、武蔵国埼玉1万石を与えられる。また、幼少の松平忠吉の忍城を預かる
    • 1600年、伏見城の戦いで戦死する。享年46
    よかったらシェアしてね!
    • URLをコピーしました!