木沢 長政(きざわ ながまさ)

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    生年1493年?
    没年1542年
    主君畠山義堯→畠山在氏
    拠点・知行河内
    官位・役職従五位下・左京亮
    幼名
    法名
    別名左京亮

    家族構成

    木沢浮泛
    兄弟長政、中務大輔、左馬允
    正室
    側室
    孫九郎、相政(孫四郎)
    親族

    逸話

    生涯

    • 1491年、生誕か。
    • 総州畠山家に仕えながら、自身の勢力拡大のため、細川京兆家当主の細川晴元に接近し、その被官となる。
    • 1531年、大物崩れにて晴元、畠山義堯とともに堺公方と結束し勝利するが、その後の晴元の方針と相容れない義堯、三好元長が対立すると、長政は晴元に加勢する。
    • 1532年、晴元は一向一揆勢に要請し、義堯、元長勢へ攻撃させると、両名を自刃へと追い込むが、一揆勢はそのまま大和へ侵攻、興福寺など他宗派との騒乱を起こす。長政は管領となった晴元や管領代、茨木長隆の命で鎮圧を行うと、山城南部の守護代に任じられる。また、この時点でも総州畠山家の被官という立場は継続しており、尾州畠山家の遊佐長教とも結び、両畠山家内での勢力をも強め、畿内の実力者となる。
    • 1541年、権力を握り増長した長政は晴元に反旗を翻すが次第に孤立、1542年、晴元、長教、三好長慶に攻められ、太平寺の戦いで戦死。
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