真田 幸綱(さなだ ゆきつな)
生年 | 1513年 |
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没年 | 1574年 |
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主君 | 海野棟綱→長野業政→武田信玄 |
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拠点・知行 | 信濃小県 |
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官位・役職 | |
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幼名 | 次郎三郎 |
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法名 | 徳斎 |
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別名 | 幸隆?、源太左衛門、弾正忠、攻め弾正、鬼弾正 |
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真田幸綱の家族構成
父 | 真田頼昌 |
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母 | 海野棟綱の娘 |
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兄弟 | 綱吉、幸綱、矢沢頼綱、常田隆永、鎌原幸定、海野幸景、萩原綱重 |
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正室 | 恭雲院(河原隆正の妹) |
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側室 | 側室:羽尾幸全の娘 |
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子 | 信綱、昌輝、昌幸、信尹、金井高勝、清鏡 |
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親族 | |
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真田幸綱の逸話
- 上杉謙信から「我、弓を取らば真田に劣らぬが、智謀は七日遅れあり」と高く評価されている
真田幸綱の生涯
- 1513年、生誕
- 1541年、海野平の戦い。武田信虎に敗れ、上野へ逃れる
- 1548年、上田原の戦い。板垣信方の脇備として従軍する。この頃に武田氏に帰属して旧領地を回復している
- 1553年、第一次川中島の戦い。葛尾城を奪回し、旧領を完全に取り戻す
- 1556年、埴科郡東天飾城を攻め落とす
- 1559年、晴信に続いて出家し一徳斎と号する
- 1561年、第四次川中島の戦い。嫡男である信綱とともに妻女山の上杉本陣への夜襲を行う
- 1563年、上杉方の斎藤氏の居城である岩櫃城を落とす
- 1565年、嵩山城を落とす
- 1567年、白井城を落とす
- 同年、病のため信綱に家督を譲り隠居する
- 1574年、病のため戸石城で死去。享年62