真田 信伊(さなだ のぶただ)
生年 | 1547年 |
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没年 | 1632年 |
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主君 | 武田信玄→武田勝頼→上杉景勝→北条氏直→徳川家康→蒲生氏郷→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光 |
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拠点・知行 | 甲斐 |
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官位・役職 | 隠岐守 |
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幼名 | 源次郎 |
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法名 | |
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別名 | 加津野信昌、信昌、市右衛門尉 |
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真田信伊の家族構成
父 | 真田幸綱 養父:加津野昌世 |
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母 | 恭雲院(河原隆正の妹) |
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兄弟 | 信綱、昌輝、昌幸、信尹、金井高勝、清鏡 |
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正室 | 馬場殿(馬場信春の娘) |
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側室 | |
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子 | 幸政、信勝 |
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親族 | |
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真田信伊の逸話
- 武田家が滅んだ後は真田本家とは別行動を取っていたが、兄・昌幸に情報を送り続け協力し続けた
- 大坂の陣の頃には老眼になっていたといわれている
真田信伊の生涯
- 1547年、生誕
- 年代不明、武田信玄の命令で加津野昌世の養子となり、甲斐の名門・加津野氏の家督を継ぐ
- 1571年、武田信玄が北条綱成の守る駿河・深沢城を落城させる際、戦功を挙げる
- 1582年、武田氏が滅亡すると真田姓に復姓し名を信尹に改める。上杉氏に従属し牧之島城に配属される
- 同年、北条氏直が信濃・川中島へ侵攻してくると北条方に乗り換えた兄・真田昌幸に内通して牧之島城に北条軍を手引きするよう画策するが、調略を拒否した山田右近尉により追放される
- 同年、昌幸が北条家から徳川家に乗り換える際には間を取り持ち、そのまま徳川家康に仕える
- 年代不明、池田輝政を介して会津・蒲生氏郷に仕える
- 1591年、蒲生氏郷と共に九戸政実の乱平定に従軍する
- 1600年、関ヶ原の戦い及び1614年、大坂冬の陣で御使番・軍使として功績を挙げ、以降は徳川家に仕える。
- 1632年、病死。享年86