織田 信忠(おだ のぶただ)

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    織田信忠の肖像画
    出典:Wikipedia:総見寺蔵
    生年1557年
    没年1582年
    主君織田弾正忠家当主
    拠点・知行尾張、美濃
    官位・役職従五位下、出羽介、正五位下、秋田城介、従四位下、従四位上、左近衛少将、正四位下、従三位・左近衛中将
    幼名奇妙丸
    法名
    別名信重、勘九郎、三位中将、岐阜中将

    織田信忠の家族構成

    織田信長
    生駒吉乃(生駒家宗の娘)?
    養母:濃姫
    兄弟信正、信忠、信雄、信孝、羽柴秀勝、勝長、信秀、信高、信吉、信貞、信好、長次
    正室信松尼(武田信玄の娘)と婚約
    側室塩川長満の娘、鈴ほか
    秀信、秀則
    親族

    織田信忠の逸話

    織田信忠の生涯

    • 1557年、生誕
    • 1567年、甲斐武田氏との同盟強化のために武田信玄の六女・松姫と婚約する
    • 1572年、武田信玄は西上作戦を開始し、同盟は崩壊する
    • 1573年頃、元服する
    • 1574年、父・織田信長に従って石山合戦・岩村城の戦い・伊勢長島攻めに立て続けに従軍する
    • 1575年、武田信玄に長篠の戦いで勝利し、そのまま岩村城攻めの総大将として出陣し戦功を挙げる
    • 1576年、父・織田信長から織田家の家督と美濃東部と尾張の一部を譲られ、岐阜城主となる
    • 同年、正五位下に叙任される
    • 1577年、雑賀攻めで中野城を落とす
    • 同年、信貴山城の戦いでは総大将として羽柴秀吉・明智光秀らを指揮し、松永久秀・久通父子が篭城する大和信貴山城を攻め落とす
    • 同年、従三位左近衛権中将に叙任される
    • 1578年、上月城の戦いで、毛利輝元が大軍を動員し、上月城を包囲する。父・織田信長の命令で総大将として援軍に向かうが戦線が膠着すると信長の指示で撤退する
    • 1579年、摂津で起きた荒木村重の謀反の鎮圧に出陣する
    • 1582年、甲州攻めでは総大将として徳川家康・北条氏政と共に進軍し、天目山の戦いで武田勝頼・信勝父子を自害に追い込み、甲斐武田氏を滅亡させる
    • 同年、本能寺の変が起きる。父・織田信長自害の知らせが届くと二条新御所に籠城するが、明智軍・伊勢貞興が攻め込んでくると、敵兵の数に勝ち目がないのを悟り、自刃する。享年26
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