織田 信包(おだ のぶかね)

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    織田信包の肖像画
    出典:Wikipedia:織田信包像
    生年1543年または1548年
    没年1614年
    主君織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼
    拠点・知行伊勢安濃津城
    官位・役職従三位、上野介、民部大輔、左中将
    幼名
    法名老犬斎
    別名信良、信兼、信廉、三十郎

    織田信包の家族構成

    織田信秀
    土田御前(佐々木六角氏後裔土田政久の娘)?
    兄弟信広、信長、信行、信包、信治、信時、信興、秀孝、秀成、信照、長益、長利
    正室長野藤定の娘
    側室神戸長盛の娘
    信重、寿圭、信則、信当
    親族

    織田信包の逸話

    織田信包の生涯

    • 1543年、もしくは1548年、生誕
    • 1568年、兄・織田信長の命令で北伊勢・長野工藤氏の養子となり、伊勢上野城を居城とするが、後年、同じく信長の命令で養子縁組を解消し、織田家に戻る
    • 1569年、伊勢大河内城が落ちて北畠家が兄・織田信長に臣従すると、信長より伊勢安濃津城主に任じられる
    • 1575年、越前一向一揆の鎮圧に従軍する
    • 1577年、紀州攻めに従軍する
    • 1582年、本能寺の変以降は豊臣秀吉に従属する
    • 1583年、甥・織田信孝と対立し、柴田勝家や滝川一益を退ける
    • 1590年、小田原攻めではに北条氏政・氏直父子の助命を嘆願し秀吉を激怒させる
    • 1594年、検地によって石高が増えたのに、務めを果たさなかったという理由で改易され、剃髪して老犬斎と名乗り京都・慈雲院へ隠居する
    • 1600年、関ヶ原の戦いでは西軍に属し、丹後田辺城攻撃などに従軍するが、戦後は徳川家康から罪に問われず所領を安堵される。以降は大阪城で豊臣秀頼を補佐する
    • 1614年、大坂冬の陣直前に大坂城内で急死する。享年72
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