織田 信広(おだ のぶひろ)

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    生年1528年から1532年の間
    没年1574年
    主君織田信秀→織田信長
    拠点・知行三河安祥城
    官位・役職従五位下・大隅守
    幼名
    法名
    別名信廣、津田信広、三郎五郎

    織田信広の家族構成

    織田信秀
    兄弟信広、信長、信行、信包、信治、信時、信興、秀孝、秀成、信照、長益、長利
    正室
    側室
    親族

    織田信広の逸話

    織田信広の生涯

    • 1528年から1532年の間に生誕
    • 1548年、第二次小豆坂の戦いで先鋒を務める
    • 1549年、守っていた安祥城を今川義元の代理で出陣した太原雪斎と朝比奈泰能が率いる駿河・遠江・三河の三カ国の大軍に攻められるが何とか守り切る。しかし再度雪斎に攻め込まれると安祥城は落とされ、捕縛される。雪斎が織田信長に捕えている竹千代(徳川家康)との人質交換を提案すると信長は快諾し岡崎で人質交換が行われる
    • 1552年、織田信長が織田家の家督を継ぐと弟である信長に仕えることになる
    • 1556年頃、弟・織田信行が信長に反逆すると同じく美濃・斎藤義龍と組んで清洲城の乗っ取りを画策する。しかし信長に計画は見破られ、謀反は未遂に終わる。以後は反抗することなく信長に仕え、兄弟たちのまとめ役となる
    • 1568年頃、京都に滞在し、公家と将軍・足利義昭との折衝役を任され、津田三郎五郎と名乗る
    • 1570年、南近江での浅井・朝倉氏との戦いでは比叡山包囲のために、山城・勝軍城に入る
    • 1572年、武田方・秋山虎繁に攻め込まれた岩村城の救援に向かうが、城は落城する
    • 1573年、織田信長が将軍・足利義昭と二条御所で戦うと信長の代理として交渉に臨み、和睦を締結させる
    • 1574年、伊勢長島攻めに従軍し、羽柴秀長らと共に中央に陣取る。兵糧攻めに耐えかねた敵将・下間頼旦は開城を願い出る。しかし信長は許すと見せかけ降参した一揆勢が撤退するところを鉄砲で狙撃する。騙されたことを知った一揆勢の一部が反撃に出てこの時に討死する。享年42もしくは43
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