毛利 秀頼(もうり ひでより)

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    生年1541年
    没年1593年
    主君織田信長→豊臣秀吉
    拠点・知行
    官位・役職河内守、侍従
    幼名
    法名
    別名長秀、羽柴秀頼、豊臣秀頼、秀政、河内守、毛利河内、羽柴河内侍従

    毛利秀頼の家族構成

    斯波義統
    養父:毛利十郎
    兄弟斯波義銀、津川義冬、秀頼
    正室
    側室
    秀秋
    親族

    毛利秀頼の逸話

    毛利秀頼の生涯

    • 1541年、生誕
    • 1554年、父である尾張守護・斯波義統が織田信友・坂井大膳・河尻左馬丞が起こした謀反で暗殺されると毛利十郎に保護される
    • 1560年、桶狭間の戦いに毛利十郎と共に従軍し戦功を挙げ、この頃に赤母衣衆に選ばれ織田信長の馬廻衆となる
    • 1569年、織田信長の伊勢大河内城攻めに従軍する
    • 1570年、野田城・福島城の戦いに従軍し戦功を挙げる
    • 1573年、将軍・足利義昭に対し謀反を起こした松永久秀が降伏した後、差し出した多聞山城の受け取りを、佐久間信盛・福富秀勝と共に務める
    • 1574年、この頃に織田信長の嫡男・織田信忠の配下となる
    • 1575年、織田信忠による岩村城攻めに従軍し夜襲を仕掛けてきた武田軍を迎撃する
    • 1578年、斎藤利治が上杉家臣・河田長親と戦った月岡野の戦いには援軍の大将として派遣され利治の勝利に貢献する
    • 1582年、織田信長の甲州攻めに従軍し、伊那郡高遠城攻めで戦功を挙げるが養子の安藤源五を失う
    • 同年、本能寺の変が起きると以降は羽柴秀吉に家臣として使える
    • 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍し、織田信雄家臣の八神城主・毛利広盛を羽柴側へ引き抜き、また木曽義昌の重臣・山村良勝を羽柴秀吉に紹介し義昌を寝返らせる功績を果たす
    • 1585年、侍従に叙任されると同時に豊臣姓と羽柴の名乗りを与えられる
    • 1587年、九州攻めに従軍する
    • 1588年、後陽成天皇の聚楽第行幸の際に関白・豊臣秀吉の牛車に供奉して、起請文に名を連ねる
    • 1589年、大仏殿建立に使用される木曽の木材調達を担う
    • 1590年、小田原攻めでは前田利家の部隊に所属し戦功を挙げ伊那郡・信濃飯田城主に再度任じられる
    • 1591年、足利氏姫の使者が上方から帰還する際に領内に確かに送り届けることを任じられる
    • 1592年、文禄の役では肥前名護屋城の普請に関わるが、渡海はしなかった
    • 1593年、豊臣秀吉が名護屋城内で明の使者と対面した際には京極高次と共に御配膳衆を担う
    • 同年、死去する。享年53
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