生年 | 不明 |
---|---|
没年 | 1576年 |
主君 | 織田信長 |
拠点・知行 | 山城槇島城 |
官位・役職 | 従五位下・左衛門佐 |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 正勝、原田直政、重友、直正、長俊、喜三郎、九郎、九郎左衛門尉、左衛門佐、原田備中守 |
塙直政の家族構成
父 | 塙右近大夫 |
---|---|
母 | |
兄弟 | 直政、男子 |
正室 | 名護屋隼人某の娘 継室:柴田勝家の娘 |
側室 | |
子 | 直安 |
親族 |
塙直政の逸話
塙直政の生涯
- 生年不明
- 1556年、主君・織田信長とその弟・織田信行による稲生の戦いに従軍し、戦功を挙げる
- 1558年、 織田信賢との間に起きた浮野の戦いで戦功を挙げる
- 1560年、桶狭間の戦いに従軍する
- 1568年、織田信長の上洛に従う
- 1569年、伊勢・大河内城攻めに従軍すると尺限廻番衆の1人に選ばれる
- 1570年、織田信長が小谷城攻撃から退却する際、殿に加わる
- 1572年、織田信長に会うため妙覚寺を訪れた吉田兼和より弓懸ニ具を贈られる
- 1573年、織田信長と将軍・足利義昭が対立すると調停の使者として義昭のもとに派遣される
- 1574年、織田信長が東大寺正倉院の有名な香木を求めたので、大和に派遣され蘭奢待を持ち帰る
- 1574年、織田信長から山城守護に任じられる
- 1575年、大和守護を兼任するよう命じられ多聞山城主となる
- 同年、高屋城の戦いに従軍する
- 同年、長篠の戦いでは鉄砲奉行に任じられる
- 同年、原田姓を与えられ、以後は原田備中守直政と名乗る
- 同年、越前一向一揆攻めに従軍する
- 1576年、石山本願寺との間に起こった天王寺の戦いに従軍するが激戦の中討死する。享年不明