荒木 村重(あらき むらしげ)

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    荒木村重の肖像画
    出典:Wikipedia:「太平記英雄伝 廿七 荒儀摂津守村重」歌川国芳筆 嘉永元年-2年(1848-49年)頃
    生年1535年
    没年1586年
    主君池田勝正→池田知正→織田信長→豊臣秀吉
    拠点・知行摂津伊丹城
    官位・役職信濃守、摂津守
    幼名十二郎
    法名道薫
    別名弥介、弥助、池田信濃守村重

    荒木村重の家族構成

    荒木義村
    兄弟
    正室池田長正の娘
    側室だし(北河原三河守の娘)
    村次、村基、岩佐又兵衛、善兵衛、岩楠、村勝
    親族

    荒木村重の逸話

    荒木村重の生涯

    • 1535年、生誕
    • 1571年、白井河原の戦いで茨木重朝・和田惟政軍を破り、織田信長からその性格を気に入られて、三好家から織田家に移ることを許される
    • 1573年、茨木城主となる
    • 同年、三好義継との間に起こった若江城の戦いに従軍し、戦功を挙げる
    • 1574年、摂津国人・伊丹氏の伊丹城を落とし、城主になると摂津一国を任される
    • 1575年、摂津有馬氏を滅ぼして、有馬郡を平定する
    • 1578年、三木合戦で羽柴秀吉軍に加わっていたが、伊丹城で織田信長に対して突如、謀反を起こし、秀吉から説得に派遣された旧知の黒田孝高を土牢に監禁する
    • 1579年、1年ほど伊丹城に籠城したが、嫡男・荒木村次の居城である尼崎城へ移る。織田信長から尼崎城と花隈城を明け渡せば妻子を助けるという約束に応じなかったため見せしめのため、人質を処刑される
    • 村次と共に親戚の荒木元清がいる花隈城に移り最後は毛利氏を頼り、尾道に移る
    • 1582年、織田信長が本能寺の変で死去すると尾道から堺へ移る
    • 1583年、道薫と名乗り、津田宗及の茶会に出席する
    • 1586年、堺で死去する。享年52
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