
| 生年 | 1538年? |
|---|---|
| 没年 | 不明 |
| 主君 | 今川義元→今川氏真 |
| 拠点・知行 | 遠江掛川城 |
| 官位・役職 | 左京亮、備中守 |
| 幼名 | |
| 法名 | |
| 別名 |
朝比奈泰朝の家族構成
| 父 | 朝比奈泰能 |
|---|---|
| 母 | |
| 兄弟 | |
| 正室 | |
| 側室 | |
| 子 | 泰基 |
| 親族 |
朝比奈泰朝の逸話
- 母が京の公卿の家の出身であり、公家階級との交流が深い
- 今川家滅亡まで忠義を尽くした
朝比奈泰朝の生涯
- 1538年、生誕とされる
- 1557年、父、泰能の死去により家督を相続する
- 1558年、駿東部の霊山寺を再興する
- 1560年、桶狭間の戦いでは、井伊直盛とともに鷲津砦を陥落させ、大高城を救うが、総大将の義元が討たれ撤退する
- 1562年、氏真の命により、井伊直親を謀殺する
- 1569年、徳川家の侵攻により、掛川城が陥落、今川家が滅亡すると、氏真に伴い伊豆へと落ち延びる。北条家の庇護下に入るが、主家再興のため、上杉家家臣、山吉家に援助を要請する動きなどが見られる。その後、氏真は徳川家を頼るが、泰朝は同行せず、以後の消息は不明。徳川家の家臣となったとされる