
生年 | 1528年 |
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没年 | 1582年 |
主君 | 今川義元→今川氏真→武田信玄→武田勝頼 |
拠点・知行 | 庵原城 |
官位・役職 | 兵衛大夫 |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 藤三郎、三郎兵衛、元長、政貞、兵衛尉、駿河守 |
朝比奈信置の家族構成
父 | 朝比奈親徳 |
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母 | |
兄弟 | 信置、義永、義信 |
正室 | |
側室 | |
子 | 信良、元永、宗利、信清 |
親族 |
嫡男、信良は武田家滅亡の際に織田家によって処刑された
三男、宗利が徳川家康家臣となり、持船城代として系譜が存続する
朝比奈信置の逸話
- 朝比奈泰能の朝比奈家とは別系譜
- 戦上手であったと伝わる
- 武田家重臣から、軍略家として敬意を払われていた
- 山本勘助を武田家へ推挙したという説がある
- 武田家家臣、板垣信方、毛利家一門、吉川元春とともに「戦国の三駿河」と呼ばれた
朝比奈信置の生涯
- 1528年、生誕
- 1548年、小豆坂の戦いでは、先陣を務め戦功を立てる
- 1569年、武田家の駿河侵攻の際、武田家へ降る。武田では庵原領を与えられ、駿河先方衆筆頭として150騎持となり重用される
- 1575年、長篠の戦いに従軍する
- 1580年、持船城の城代となる
- 1582年、武田家が織田家に滅ぼされると、織田信長の命により自刃。享年55