和泉式部(いずみしきぶ)
生年 | 978年頃 |
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没年 | 不明 |
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氏族 | 大江氏 |
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官位 | なし |
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職業 | 敦道親王の召人 |
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法名 | 専意法尼 |
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別名 | なし |
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和泉式部の家族構成
父 | 大江雅致 |
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母 | 平保衝の娘 |
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兄弟 | 女子、和泉式部、女子、女子 |
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配偶者 | 橘道貞、藤原保昌 |
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子 | 小式部内侍、石蔵宮永覚 |
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和泉式部の概要
和泉式部の逸話
- 叔父の大江匡衝は赤染衛門の夫
- 恋愛遍歴が豊富で藤原道長に浮かれた女と言われた
- 同僚だった紫式部には恋文や和歌は素晴らしいが、素行には感心できないと評された
和泉式部の生涯
- 978年頃、生誕
- 999年頃、和泉守・橘道貞と結婚し、娘・小式部内侍を出産する
- 1004年、橘道貞が陸奥守となり陸奥に向かう際に歌を贈ったとされる
- 1007年、召人として仕えて一子・石蔵宮永覚を儲けた敦道親王が死去する
- 1008年~1011年頃、一条天皇の中宮・藤原彰子に女房として仕える
- 1013年頃、主人・藤原彰子の父・藤原道長の家司だった藤原保昌と再婚し夫の任国・丹後に移る
- 1025年、娘・小式部内侍が死去すると京都へ戻り誓願寺に入ると出家し、専意法尼という戒名を授かる
- 1027年、長年仕えた藤原彰子が父・藤原道長に専意法尼のために寺社の建立を勧め、道長が東北院誠心院を建立すると初代住職となる
- 没年不明
光る君への和泉式部