生年 | 936年 |
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没年 | 不明 |
氏族 | 藤原北家長良流 |
官位 | なし |
職業 | 藤原兼家の妾妻 |
法名 | なし |
別名 | 右大将道綱母、道綱母、傅大納言母、傅殿母 |
藤原寧子の家族構成
藤原寧子の概要
藤原寧子の逸話
- 晩年は夫と会うことも少なく寂しい生活を送ったといわれる
藤原寧子の生涯
- 936年頃、生誕
- 954年、藤原兼家と結婚し、兼家の妻の1人となる
- 955年、藤原道綱を出産する
- 968年、東宮・ 守平親王の親代わりだった藤原登子と交流を始める
- 969年、安和の変で太宰権帥に左遷された源高明の北の方・愛宮に長歌を贈る
- 970年、夫・藤原兼家が住居を東三条殿に移したため、寧子の母家への来訪が激減する
- 974年頃、954年から974年までの夫・藤原兼家との結婚生活の様子を蜻蛉日記に記す
- 977年、右大将だった夫・藤原兼家は関白・藤原兼通に治部卿に左遷され、共に息子・藤原道綱も土佐権守に左遷される
- 978年、夫・藤原兼家の次女・藤原詮子が入内すると、兼家は右大臣に任官され息子・藤原道綱は元の左衛門佐に復官する
- 980年、女御となった藤原詮子が円融天皇の第一皇子の懐仁親王を出産する
- 986年、花山天皇によって開催された寛和二年内裏歌合に息子・藤原道綱の歌を代作する
- 993年、病に倒れた後、東宮の帯刀陣歌合に右方として出席する
- 995年頃、死去する。享年60
光る君への藤原寧子
- 第5回「告白」で初登場