藤原定子(ふじわらのさだこ)|高畑充希(幼少期:木村日鞠)
生年 | 977年 |
---|
没年 | 1001年 |
---|
氏族 | 藤原北家中関白家 |
---|
官位 | 第66代天皇后 |
---|
職業 | 一条天皇皇后 |
---|
法名 | なし |
---|
別名 | 一条院皇后宮 |
---|
藤原定子の家族構成
藤原定子の概要
藤原定子の逸話
- 仕えた清少納言が見ほれるほど美しかったといわれている
藤原定子の生涯
- 977年、生誕
- 990年、3歳年下の一条天皇に入内し、従四位下に叙任され女御となる
- 同年、皇后に冊立され中宮を名乗る
- 995年、関白だった父・藤原道隆とその弟である叔父・藤原道兼が急死すると叔父藤原道長と実兄・藤原伊周が権力を争うようになる。伊周は道長を呪詛したり、実弟・藤原隆家の従者が道長の従者を殺害するなど、対立が激化する中、伊周と隆家が長徳の変を起こす。伊周と隆家をかくまうが、一条天皇より強制捜査の宣旨が下り、二条宮に捜査が入り伊周と隆家は捕らえられる。その日に自ら鋏を取り仏門に入る
- 同年、二条宮の全焼や母・貴子の死去など不幸が続く
- 997年、脩子内親王を出産する
- 998年、一条天皇は第一皇女・脩子内親王との対面を望み、周囲が反対する中、再度定子を宮中に迎える
- 999年、一条天皇の第一皇子・敦康親王を出産する
- 1000年、御彰子が新たに皇后に冊立され中宮を名乗ると皇后定子は皇后宮を名乗る
- 同年、第二皇女・媄子内親王を出産した直後に崩御する。享年、24
光る君への藤原定子