生年 | 不明 |
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没年 | 1001年 |
氏族 | 藤原北家高藤流 |
官位 | 正五位下・右衛門権佐 |
職業 | 公家 |
法名 | なし |
別名 | なし |
藤原宣孝の家族構成
父 | 藤原為輔 |
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母 | 藤原守義の娘 |
兄弟 | 惟孝、説孝、宣孝、藤原佐理室 |
配偶者 | 藤原顕猷の娘、平季明の娘、藤原朝成の娘、まひろ(紫式部) |
子 | 隆光、頼宣、隆佐、明懐、儀明、大弐三位、藤原道雅室 |
藤原宣孝の概要
藤原宣孝の逸話
- 派手好き
藤原宣孝の生涯
- 生年不明
- 982年、左衛門尉に、続いて六位蔵人に任じられる
- 984年、円融天皇が花山天皇に譲位すると院判官代に任じられ、後に花山天皇の蔵人を務める
- 990年、筑前守に任ぜられて筑紫に赴任する
- 992年、大宰少弐に任じられる
- 998年、山城守を兼任し、この頃に紫式部と結婚する
- 1001年、疫病により死去する。紫式部集に夫・藤原宣孝の死去に伴い詠んだ和歌「見し人の けぶりとなりし 夕べより 名ぞむつましき 塩釜の浦」が収められている
光る君への藤原宣孝
- 第1回「約束の月」で初登場