藤原文範(ふじわらのふみのり)|栗田芳宏
生年 | 909年 |
---|
没年 | 996年 |
---|
氏族 | 藤原北家長良流 |
---|
官位 | 従二位・中納言 |
---|
職業 | 公卿 |
---|
法名 | なし |
---|
別名 | なし |
---|
藤原文範の家族構成
父 | 藤原元名 |
---|
母 | 藤原扶幹の娘 |
---|
兄弟 | 君章、文範、条章、国章、知章、淑子 |
---|
配偶者 | 藤原正茂の娘、北の方(藤原玄上の娘) |
---|
子 | 為雅、為信、典雅、知光、如親、明肇、文円 |
---|
藤原文範の概要
藤原文範の逸話
- 藤原敦忠の家令を勤めており、敦忠は妻である北の方に自身の死後、北の方が文範と夫婦になることを予言していた
藤原文範の生涯
- 909年、生誕
- 940年、文章生となる
- 941年、少内記兼六位蔵人に任官される
- 943年、式部少丞に任官される
- 同年、藤原敦忠の家令を勤める
- 944年、式部大丞に任官される
- 945年、従五位下・摂津守に叙任される
- 950年、従五位上・右衛門権佐に叙任される
- 952年、左少弁に任じられる
- 954年、右中弁に任じられる
- 955年、正五位下・左中弁に叙任される
- 957年、従四位下に叙任される
- 961年、従四位上に叙任される
- 966年、蔵人頭兼右大弁に任じられる
- 967年、参議に任じられ公卿に列する
- 969年、円融天皇の即位に伴い、正四位下に叙任される
- 970年、民部卿に任じられ、以降30年に渡って務める
- 970年、従三位・権中納言に昇任される
- 同年、大雲寺をを建立する
- 972年、中納言に任じられる
- 977年、正三位に叙任される
- 987年、従二位に叙任される
- 988年、次男・藤原為雅を備中守に任官させる代わりに、自身は中納言を辞任する
- 996年、死去する。享年88
光る君への藤原文範