生年 | 959年 |
---|---|
没年 | 991年 |
氏族 | 天皇家 |
官位 | 第64代天皇 |
職業 | なし |
法名 | 金剛法 |
別名 | 守平親王、朱雀院上皇 |
円融天皇の家族構成
父 | 村上天皇(成明親王) |
---|---|
母 | 藤原安子(藤原師輔の娘) |
兄弟 | 広平親王、冷泉天皇(憲平親王)、致平親王、為平親王、円融天皇(守平親王)、昭平親王、具平親王 |
配偶者 | 中宮:藤原媓子(藤原兼通の娘)、藤原遵子(藤原頼忠の娘) 女御:藤原詮子(藤原兼家の娘)、尊子内親王(冷泉天皇第二皇女) 更衣:中将御息所(藤原懐忠の娘) 更衣:少将更衣 |
子 | 一条天皇(懐仁親王) |
円融天皇の概要
円融天皇の逸話
- 和歌を楽しみ、拾遺集などの勅撰集に24首入集している
円融天皇の生涯
- 959年、生誕
- 964年、母・康子が死去し、以降は安子の妹・藤原登子に育てられ、兄弟と共に中宮権大夫を務めていた藤原兼通に庇護される
- 969年、安和の変が起き、左大臣・源高明が失脚し、冷泉天皇が譲位すると円融天皇として即位する
- わずか11歳であったため、大伯父である太政大臣・藤原実頼が摂政に就任する
- 970年、藤原実頼が死去すると藤原伊尹が摂政を引き継ぐ
- 972年、元服を迎えた直後に藤原伊尹が死去すると、関白職の後継を巡って伊尹の弟である藤原兼通と藤原兼家が激しく争う。円融天皇は母・安子の遺訓に従って兼通を関白に任じる
- 977年、関白・藤原兼通が重病に倒れると、兼通の要望に従い外戚関係のない藤原頼忠を後任とする
- 978年、藤原兼家の次女・藤原詮子が入内する
- 980年、女御となった藤原詮子は懐仁親王を出産する
- 979年、中宮・藤原媓子が死去し、中宮が空席となる
- 982年、藤原頼忠の娘・藤原遵子が中宮に冊立される
- 984年、息子・懐仁親王の立太子と引き換えに、冷泉天皇の皇子・師貞親王に譲位し、太上天皇となる
- 986年、寛和の変により花山天皇が譲位し、懐仁親王はわずか7歳で一条天皇として即位する。。一条朝では幼い天皇を指導して強い発言権を持ち摂政となった藤原兼家と意見が対立することもあった
- 991年、円融寺で崩御する。享年33
光る君への円融天皇
- 第1回「約束の月」で初登場