生年 | 1548年 |
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没年 | 不明 |
主君 | 畠山高政→畠山秋高 |
拠点・知行 | 河内 |
官位・役職 | 河内守 |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 教、信教、新次郎 |
遊佐信教の家族構成
父 | 遊佐長教 |
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母 | 日野内光の娘 |
兄弟 | |
正室 | |
側室 | |
子 | 高教 |
親族 |
遊佐信教の逸話
- 信教の子孫は紀州・徳川家の家臣として代々仕えた
遊佐信教の生涯
- 1548年、生誕。
- 1551年に父、長教が萱振氏に暗殺されると、幼少の信教に代わり一族の遊佐太藤が遊佐家を纏める。
- 1560年、三好長慶による河内侵攻により高屋城は陥落。高政とその家臣の大半は追放される。
- 1568年、織田信長が上洛すると、畠山家の家督を受け継いだ高政の弟、畠山昭高は兄、高政と共に信長に従い、河内半国を安堵され、信教も高屋城に復帰する。その後、信長と足利義昭が対立し、昭高、信教は義昭方に属するが、義昭が信長に降伏すると昭高は信長方に転じ信教と対立。
- 1573年、信教は昭高を殺害する。
- 1574年、信長に反攻をかけるが敗北、高屋城にて戦死する。