生年 | 不明 |
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没年 | 不明 |
主君 | 木沢長政→畠山政国→畠山高政→畠山秋高 |
拠点・知行 | |
官位・役職 | 美作守 |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 遊佐宗房、与兵衛尉 |
安見宗房の家族構成
父 | 中村円賀? |
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母 | |
兄弟 | |
正室 | |
側室 | |
子 | 野尻満五郎 |
親族 |
安見宗房の逸話
- 宗房は大阪・狭山池の修理を行ったが、完了できなかった
安見宗房の生涯
- 生没年不明。
- 1542年頃、木沢長政から細川晴元に転じ、その後、尾州畠山家に仕える。
- 1551年、遊佐長教が萱振賢継に暗殺されると、翌年賢継を茶会の席で暗殺し、続いて長教の弟も暗殺、遊佐太藤を擁立し自身の権力を構築していく。また高政を守護に担ぎ丹下盛知と共に家中での地位を確立した。以降は主、高政、昭高に従う。
- 1570年、幕府奉公衆に取り立てられる。
- 1577年頃までに没したと伝わる。