畠山 稙長(はたけやま たねなが)

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    生年1509年
    没年1545年
    主君尾州畠山家当主
    拠点・知行河内
    官位・役職尾張守
    幼名鶴寿丸
    法名
    別名次郎

    畠山植長の家族構成

    畠山尚順
    細川政春の娘
    兄弟稙長、細川晴宣、長経、基信、晴熙、晴満?、政国
    正室
    側室
    親族

    畠山植長の逸話

    畠山植長の生涯

    • 1504年、生誕。
    • 1515年、元服。将軍足利義稙より偏諱を賜り稙長と名乗る。
    • 1517年、家督を相続する。父の尚順が隠居、紀伊へ下向すると、稙長は在京し当主として活動を始める。将軍足利義稙、管領細川高国、分家の能登畠山家の畠山義元、義総親子との関係を強め、河内、大和の覇権をめぐって総州畠山家と抗争を繰り返す。
    • 1534年、河内国守護代である遊佐長教と木沢長政が稙長の弟の畠山晴煕を擁立し下克上、紀伊に追放される。
    • 1541年、長教と長政が仲違いし長政が反乱を起こすと、長教と和睦、紀伊の諸勢力とともに木沢長政を討ち、河内を取り返す。
    • 1545年、河内の支配体制の強化に取り組む中、急死した。
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