畠山 高政(はたけやま たかまさ)
生年 | 1527年または1531年 |
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没年 | 1576年 |
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主君 | 尾州畠山家当主 |
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拠点・知行 | 河内 |
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官位・役職 | 尾張守 |
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幼名 | |
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法名 | |
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別名 | 次郎四郎 |
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畠山高政の家族構成
父 | 畠山政国 |
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母 | |
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兄弟 | 高政、政尚、秋高 |
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正室 | |
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側室 | |
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子 | 養子:秋高(実弟。畠山政国の子)、貞政(畠山政尚の子)、之照(細川真之の子) |
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親族 | |
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畠山高政の逸話
畠山高政の生涯
- 1527年、または1531年生誕。当時の河内では守護代、遊佐長教に実権を握られていた。
- 1551年、長教が暗殺されるのを契機に翌々年、家督を継ぐ。
- 1558年、安見直政と対立し、高屋城を追放、堺に逃れる。
- 1559年、三好長慶と連合し高屋城を奪還、直政を追放する。
- 1560年、長慶と対立し直政と和睦するが、長慶の侵攻により高屋城は陥落、直政と共に没落、紀伊に下る。
- 1561年、紀伊勢を率い、細川晴之、六角義賢と共に京へ攻め上がり、長慶を京より追放。
- 1562年、久米田の戦いで長慶の弟、三好義賢を討ち取り高屋城を奪い返すが、同年、教興寺の戦いで敗北し河内より撤退し紀伊へ後退する。
- 1565年、家督を弟の昭高に譲る。
- 1568年、織田信長が上洛すると信長に従い在京し勢力増強に努める。
- 1573年、信長と将軍足利義昭が対立し、信長派の昭高が義昭派の遊佐信教に討たれる。
- 1575年、信長に高屋城を破却され河内を失う。放浪の後、翌年死去。