生年 | 1538年 |
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没年 | 1582年 |
主君 | 明智光秀 |
拠点・知行 | 近江坂本城 |
官位・役職 | |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 庄兵衛 |
溝尾茂朝の家族構成
父 | |
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親族 |
溝尾茂朝の逸話
- 朝倉家滅亡後の越前の政務をを羽柴家臣・木下祐久、滝川家臣・津田元嘉らと共に代官として担っていた
溝尾茂朝の生涯
- 1538年、生誕
- 1575年、明智光秀の丹波攻めに従軍する
- 1582年、明智光秀に従って徳川家康の接待に参加する
- 同年、本能寺の変に加わる
- 本能寺の変後の山崎の戦いにも従軍するが、敗れて明智光秀と共に坂本城を目指す。
- しかし光秀が落ち武者狩りの百式によって致命傷を負うと、光秀の命令で介錯を務める。
- 光秀の首を坂本城へ持ち帰ろうとするが、再度落ち武者狩りに見つかったため、首を竹藪に隠すと坂本城、もしくはその場で自害する。享年45。隠した光秀の首は百姓に見つかり翌日に織田信孝に差し出される