生年 | 1555年 |
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没年 | 1600年 |
主君 | 徳川家康 |
拠点・知行 | 武蔵忍城 |
官位・役職 | |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 又八、又八郎、主殿助 |
松平家忠の家族構成
父 | 松平伊忠 |
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母 | 鵜殿長持の娘 |
兄弟 | 家忠、忠勝、伊長、玄成、松意 |
正室 | 水野忠分の娘 |
側室 | |
子 | 忠利、忠貞、忠一、忠重、忠隆 |
親族 |
松平家忠の逸話
- 徳川十六神将のひとりとされる場合がある
- 家忠の記した「家忠日記」は貴重な資料として現存している
- 忠吉の成人後は下総国小見川に移封された
松平家忠の生涯
- 1555年、生誕
- 1575年、長篠の戦いでは、父・酒井忠次に従い参加するが忠次が戦死し、家督を相続する。その後も主要な合戦には従軍するが、戦闘よりも、付城の普請などを担当することが多かった
- 1590年、家康の関東移封の際、武蔵国埼玉1万石を与えられる。また、幼少の松平忠吉の忍城を預かる
- 1600年、伏見城の戦いで戦死する。享年46