平岩 親吉(ひらいわ ちかよし)

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    平岩親吉の肖像画
    出典:Wikipedia:平田院所蔵
    生年1542年
    没年1612年
    主君徳川家康→徳川義直
    拠点・知行上野厩橋城
    官位・役職従五位下・主計頭
    幼名
    法名
    別名七之助

    平岩親吉の家族構成

    平岩親重
    天野貞親の娘
    兄弟正広、親吉、康重、康長
    正室石川正信の娘
    側室
    伯耆守、堀隼人正重
    養子:松平仙千代
    親族

    平岩親吉の逸話

    • 平岩家は松平家の譜代家臣の家柄
    • 徳川十六神将のひとり
    • 家康とは同い年
    • 私欲が無く、豊臣秀吉からの黄金100枚の祝儀を受け取らなかった。本多忠勝と、井伊直政は受け取り、榊原康政は受け取るべきか家康に相談した
    • 正直で、私心がなく、家中での人望は厚かった
    • 親吉には嗣子がおらず、家康の8男、仙千代を養嗣子としてもらい受けたが、仙千代は1600年に夭折した

    平岩親吉の生涯

    • 1542年、生誕
    • 1547年、徳川家康の小姓として駿府へ送られる
    • 1558年、初陣を飾る
    • その後、三河、遠江攻略で戦功を立て、徳川信康が元服すると傅役となる
    • 1579年、松平信康が切腹すると、責任を感じ蟄居する。後年、徳川家康により直臣として復帰する
    • 1576年、三河大樹寺にて、水野信元親子を誅殺する
    • 1582年、本能寺の変後、甲斐国甲府城の築城を始める。また、甲斐の郡代を任じられる
    • 1590年、小田原攻めで戦功を挙げる。徳川家康の関東移封の際、上野厩橋3万3000石を与えられる
    • 1601年、甲斐甲府6万3000石に移封される
    • 1603年、幼少の徳川義直が甲斐25万石に封ぜられると、代理として現地の統治を行う
    • 1607年、徳川義直が尾張藩主となると附家老を任ぜられ藩政を執る。尾張犬山12万3000石に移封される
    • 1611年、名古屋城にて死去する。享年70
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