生年 | 1537年 |
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没年 | 1613年 |
主君 | 松平広忠→徳川家康→徳川秀忠 |
拠点・知行 | 上総茂原 |
官位・役職 | |
幼名 | 弥八郎 |
法名 | 道喜 |
別名 | 治右衛門 |
大久保忠佐の家族構成
父 | 大久保忠員 |
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母 | |
兄弟 | 忠世、忠佐、忠包、忠寄、忠核、忠為、忠長、忠教、忠元 |
正室 | |
側室 | |
子 | 竹丸、忠兼 養子:青山宗祐(青山忠俊の子) |
親族 |
大久保忠佐の逸話
- 徳川十六神将のひとり
- 兄の忠世とともに、敵にまとわりつくという意味で、「膏薬」と賞された
- 戦場で傷を負ったことがない
- 息子2人が早世したため、後継ぎがおらず、沼津藩は改易となった
大久保忠佐の生涯
- 1537年、生誕
- 1572年、一言坂の戦いでは、本多忠勝と殿軍を務める
- 1575年、長篠の戦いで戦功を挙げる
- 1584年、小牧・長久手の戦いで戦功を挙げる
- 1590年、徳川家康の関東移封の際、上総国茂原5000石を与えられる
- 1600年、関ヶ原の戦いでは、徳川秀忠に従い、真田昌幸に翻弄される
- 1601年、駿河国沼津2万石を与えられ、沼津城を居城とする
- 1613年、死去。享年77