高木 清秀(たかぎ きよひで)
生年 | 1526年 |
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没年 | 1610年 |
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主君 | 水野信元→織田信秀→水野信元→織田信長→徳川家康 |
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拠点・知行 | 三河 |
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官位・役職 | |
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幼名 | 善次郎 |
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法名 | |
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別名 | 主水助 |
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高木清秀の家族構成
父 | 高木宣光 |
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母 | 酒井正信の娘 |
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兄弟 | 清秀、清方 |
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正室 | 水野元氏の娘 |
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側室 | |
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子 | 光秀、一吉、正次、守次 |
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親族 | |
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高木清秀の逸話
- 徳川十六神将のひとり
- 石瀬合戦では石川数正と7度槍を交えたという
- 松永攻め、有岡攻めでも活躍したという
- 長篠の戦いでは武田家臣の猛将、真田昌輝と槍を合わせたと伝わる
高木清秀の生涯
- 1526年、生誕。はじめは水野信元に仕える
- 1548年、織田信秀家臣として第二次小豆坂の戦いで戦功をあげた。その後、再び水野信元に仕え、歴戦する
- 1563年、三河一向一揆では、水野信元に従い一揆勢と奮戦し、その功により徳川家康からも報償を与えられる
- 1574年、第三次伊勢長島攻めでは、嫡男・高木光秀を失うも、敵方の首魁である盛林坊を討ち取り武名を轟かせる
- 1575年、水野信元が武田内通により信長に誅殺されると、織田家臣・佐久間信盛の与力となる
- 1576年、大坂攻めでは、佐久間信盛に従い天王寺城に入り一揆勢と戦う
- 1580年、佐久間信盛が織田家より追放されると、織田家直臣となったと推察される
- 1582年、本能寺の変にて、信長が死去したのを契機に徳川家康の家臣となる
- 1584年、小牧・長久手の戦いに従軍する
- 1590年、小田原攻めに従軍し、5000石を与えられる
- 1594年、家督を三男・高木正次に譲り、相模国海老名で隠居する
- 1600年、関ヶ原の戦いでは、隠居の身であったが、徳川秀忠に伺候し羽織を賜ったとされる
- 1610年、死去する。享年85
私見
変わった遍歴。めっちゃ強かったんでしょうね