天野 藤秀(あまの ふじひで)

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    生年不明
    没年不明
    主君今川義元→今川氏真→徳川家康→武田信玄→武田勝頼→北条氏照
    拠点・知行遠江犬居城
    官位・役職宮内右衛門尉
    幼名犬房丸
    法名
    別名小四郎藤英、宮内右衛門尉藤秀、景貫

    天野藤秀の家族構成

    天野虎景
    兄弟正貫、藤秀
    正室
    側室
    景康、福房
    親族

    天野藤秀の逸話

    • 天野家は藤原南家の一族。承久の乱で鎌倉方として戦功を立て、長門守護となり、遠江、信濃、相模などに領地を得る。その後、足利尊氏に従い今川家に属した
    • 景貫は藤秀の子とされているが同一人物であり実名は藤秀が正しいとされる

    天野藤秀の生涯

    • 生没年不明
    • 1547年までに、父、虎景が死去し家督を相続するが、幼少であったため、別系統の天野景泰に家中の実権を奪われる
    • 1562年、氏真の裁定により、景泰から実権を奪還し景泰は今川家から離反する
    • 1568年、武田家、徳川家からの侵攻を受けると、徳川家の調略を受け従属する。同時に武田家とも通じていた形跡がある
    • 1572年、武田家が徳川領に侵攻すると、武田家に従属する
    • 1574年、徳川家が犬居谷に侵攻すると、防戦し、退却する徳川軍を奇襲し総崩れにさせる
    • 1575年、長篠の戦いでは、徳川軍に領地の大半を奪われる
    • 1576年、領地奪還のため善戦する
    • 1579年、光明城攻略を命じられる
    • 1582年、武田家が滅亡すると、北条氏照に仕える
    • 1583年、下野国小山城在番を命じられ、佐竹家と戦う
    • 1584年、資料上で最後に活動が確認される
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