足利 義輝(あしかが よしてる)
生年 | 1536年 |
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没年 | 1565年 |
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主君 | 室町幕府第13代征夷大将軍 |
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拠点・知行 | 山城 |
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官位・役職 | 従五位下、正五位下・左馬頭、従四位下・征夷大将軍、参議、左近衛中将、従三位 |
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幼名 | 菊幢丸 |
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法名 | |
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別名 | 義藤、剣豪将軍 |
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足利義輝の家族構成
父 | 足利義晴 猶父:近衛尚通 |
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母 | 慶寿院(近衛尚通の娘) |
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兄弟 | 義輝、義昭、周暠 |
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正室 | 大陽院(近衛稙家の娘) |
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側室 | 小侍従局(進士晴舎の娘) |
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子 | 輝若丸、義高、尾池義辰 |
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親族 | |
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足利義輝の逸話
- 剣聖と呼ばれた剣豪・塚原卜伝の直弟子の一人である
- 辞世の句として「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」が伝わっているが実際に義輝が詠んだか真偽は不明である
足利義輝の生涯
- 1536年、生誕
- 1546年、朝廷から義藤の名を与えられ、近江坂本・日吉神社で元服し、父・足利義晴から将軍職を譲られ第13代将軍となる
- 1547年、細川春元との関係が悪化すると、父・足利義晴と共に北白川に建設していた将軍山城に籠城し、春元との対決姿勢を明らかにする。しかし六角定頼と春元の大軍に将軍山城は包囲されると城に火を放ち近江坂本へ向かい、定頼の仲介で春元と和睦する
- 1550年、三好長慶に備えて中尾城を築城する
- 同年、父・足利義晴が穴太で死去する
- 同年、三好長慶との間に中尾城の戦いが起き、自ら指揮を執るが三好勢の勢いを止められず城に火を放ち近江堅田へ撤退する
- 1552年、六角定頼が死去し、息子の六角義賢が跡を継ぐと義賢は和睦を申し出て、三好家と和睦する
- 同年、三好長慶を幕府の御供衆に任じる
- 同年、清水寺に近い霊山に東山霊山城を築く
- 1553年、三好長慶が新年の挨拶に出向いてくるが、その頃の京には長慶を排除するという噂が広まっていたので、長慶は京から淀城へ移るが和解する
- 同年、東山霊山城に入城し、細川春元と組み、長慶との和約を破棄し、三好氏との断交を決断する
- 同年、長慶が2万5千の大軍を率いて侵攻し、東山霊山城の戦いが起きる。足利軍は籠城するものの、猛攻に耐え切れず東山霊山城は落城する。自身は船岡山で迎撃の備えをしていたが、連合を組んでいた晴元は三好方の猛攻に恐れをなし退却し、この敗北で多くの幕臣が離れることになる
- 以降は逃れた近江朽木を御座所とする
- 1554年、従三位に叙任され、義輝に名を改める
- 1556年、本願寺からの依頼で朝倉義景と加賀一向一揆の和平調停を仲介し、朝倉氏を加賀から撤退させる
- 1558年、正親町天皇の即位のため、朝廷は年号を永禄に改める。それまで改元は朝廷と室町幕府の協議の上で行われてきたが、今回朝廷は三好長慶とは相談したものの、義輝には全く相談なく改元が実行された
- この改元に激怒し、権威回復のため、また三好政権打倒のため朽木で挙兵する
- 同年、三好軍が将軍山へ進軍し北白川の戦いが起きる。戦線は膠着し、両軍とも疲弊したこともあり、六角義賢仲介で和睦が成立する
- 同年、将軍山城から二条法華堂へ入り、御座所とすると伯父・近衛稙家の娘・太陽院を正室に迎える
- 同年、上杉謙信と武田信玄の抗争の調停を行う
- 1559年、尾張・織田信長、越後・上杉謙信が相次いで上洛して来たので対面する
- 同年、大友宗麟を九州探題に任命し、同時に周防・長門・豊前・筑前の守護・大内氏の家督も認め、九州の統治を委ねる
- 同年、伊達晴宗を奥州探題に任命する
- 1560年、前年から建設を進めた勘解由小路烏丸の新御所に移る
- 同年、三好実休や松永久秀を御供衆に加えるなど和睦した三好家を厚遇する
- 島津貴久と大友宗麟、毛利元就と尼子晴久の抗争の調停を行う
- 1561年、徳川家康と今川氏真の抗争の調停を行う
- 1562年、三好軍と畠山・六角連合軍の間に久米田の戦いが起き、三好実休が戦死する。この際、三好家との連携を維持するため、共に京を去り石清水八幡宮に移る
- 同年、教興寺の戦いで三好軍が畠山軍を破ると六角に味方していた伊勢貞孝は坂本へ逃亡し、三好長慶を支持して貞孝を更迭する
- 1563年、娘・総持寺殿を松永久秀に人質として差し出す
- 1564年、三好長慶が死去するとこれを機に幕府の権力回復を試みる
- 同年、二条御所の建設を始める
- 1565年、三好重存が上洛した際、重存に義の偏諱と左京大夫の官位を与えると重存は義重と名乗る
- 同年、義重は三好三人衆や松永久通と共に突如二条御所に押し寄せ、永禄の変が起きる。側近たちと共に奮戦するものの、力尽き、討たれる。享年30