生年 | 不明 |
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没年 | 1532年 |
主君 | 総州畠山家第5代当主 |
拠点・知行 | 河内 |
官位・役職 | 上総介、従四位下・右衛門督 |
幼名 | 太郎 |
法名 | |
別名 | 義宣 |
家族構成
父 | 畠山義英 |
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母 | |
兄弟 | 義堯、在氏 |
正室 | 細川澄元の娘 |
側室 | |
子 | |
親族 |
逸話
生涯
- 生年不明。
- 1522年頃、家督を相続する。
- 1526年、細川高国が失脚した際、管領となったとされる。
- 1527年、細川晴元が擁する堺公方、足利義維に従い上洛。細川高国や朝倉宗滴と争う。
- 1528年、柳本賢治と結び、畠山植長に対し優勢となるも、1530年、高国と浦上村宗によって賢治は討たれ再び形勢は逆転する。が、翌1531年、大物崩れにおいて三好元長とともに高国、村宗を討つ。しかし、元長の主君、細川晴元は義堯、元長を警戒し木沢長政と連合、さらに植長も連合に加わる。
- 1532年、元長とともに飯森山城の長政を攻めるが、援軍の一向一揆に敗れ自刃。