生年 | 1545年 |
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没年 | 1573年 |
主君 | 畠山高政→織田信長 |
拠点・知行 | 河内 |
官位・役職 | 左衛門督 |
幼名 | |
法名 | |
別名 | 政頼、昭高、次郎四郎 |
畠山秋高の家族構成
父 | 畠山政国 |
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母 | |
兄弟 | 高政、政尚、秋高 |
正室 | |
側室 | |
子 | |
親族 |
畠山秋高の逸話
- 死後、畠山家の家督は兄・畠山政尚の子・畠山貞政が引き継ぎ、江戸時代も高家として存続した
畠山秋高の生涯
- 1545年、生誕。
- 1560年、兄、高政を補佐し三好長慶と争うが敗北し紀伊へ逃れる。
- 1565年、兄より家督を相続する。
- 1568年、信長政権に河内半国を安堵されたが、残り半国は敵対している三好義継のものとなる。
- 1571年、三好家が反乱、松永久秀と共に、畠山領に侵攻する。守護代遊佐信教が三好家と連携する気配を見せはじめる。
- 1573年、信教の侵攻を受け、自害に追い込まれる。